16mmフィルム映画上映会

光と影の魔法

フィルム映写機を使ったワクワクする上映会はいかが?

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なぜ私は、「映写機を回すのか?」を本気で考えてみた。

「フィルム」と「映写機」で面白いことを

 

いや、いろいろね、考えてみたんだよ。

そう、右脳の限界に挑戦してみたんだよ。

そしたらね、もう、これは理屈じゃないわけです。

そう、ポカホンタス。

ようするに、理由が必要なのかってこと。

何かをするのに「理由」付けは必要ないじゃないか。

大人になるにつれて、理由を付けたがる。

何かをするのに、そんなのいらないよ。

でも、考えるんだよね。

これはただの承認欲求なのかってね。

映写機を回すことで、目立ちたいとか、すごいと言われたいとか、

そういう承認欲求が「完全にないか」といわれれば嘘になる。

だって、やっぱり、モテてえし、やりてえよ。

いや、そういうことではなくてですね。

ある意味、理由ではなく、哲学的なものとして、、、

「なぜ、私は映写機を回すのか」

ってことなんだ。

だって、ただ、映写機を回したいだけなら

家で勝手に回してればいいわけで、、、。

勝手にやってりゃいいわけなんだよ。

しかし、やはり、人々の前で、「回したい」んだ。

そう、これは、叫びにも似た感情 イズ ロック。

そうだ、ロックなんだよ。

ただ、この思いをぶちまけたいのさ。

そうだ、映写機を守るとか、フィルムを伝えるとか、、、、

それは「たてまえ」でしかなかったんだ!

俺は、叫びたいんだ!否、回したいんだ!

この世の中に、このどうしようもない。

センチメンタルかつファンタスティックかつ、ジャスキモーな思いを!

路上で叫ぶ、若者のように

そう、尾崎のように、長渕のように

おれは、こころから叫びたい(回したい)んだ。

ようするにだ。カムサハムニダ。

言いたいことは、アレです。

「映写機」は私にとっての「ギター」なわけです。

ジミヘンがストラトキャスターをかき鳴らすように、、、

ジョンがリッケンバッカーをかき鳴らすように、、、

ジミーペイジがレスポールをかき鳴らすように

俺は、映写機をかき回すのさ。

すべて「ロック」なんですよ。

この世界に存在するすべての、水・陸・空・無限大なロックわけです。

この回る地球の上で私たちは、ひとつなわけです。

中分けでも、七三分けでも同じ分け目には変わりないということです。

だから、とにかく、回してみればいいんです。

その先に何があるのか。それは誰にもわかりません。

回す、回る、回れば、回し。

そのすべててがつながって、ひとつの宇宙として存在しているからです。

わけがわからない?

それでいいんです。

「わけがわからない」そのすべてを受け止める時がきたのです。

さあ、ごらんなさい。

この「鉄の塊」を。

この鉄の塊である「映写機」が放つ無限の可能性を!

鉄ですよ。

元素記号はFe!

そう「ふぇ」とも読めるこの記号!

叫びませう「ふぇeeeeeeeee~!」さけびませう「ふぇ~eeeeeeeeeeeee!」

さあ、これでこころおきなく回すことができます。

それで、いい。泣くことはありません。

ありのまま、この回転を感じればいいのです。

その中にあなたは見るでしょう。

 

 

愛にも似たカルタシスを…。

 

 

で、何が言いたかったかといいますと、

「映写機ってかっこいいよね」

ってことです。おわり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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